夏!青春!
といえば高校野球を思い出します。
高校球児たちの全力プレーは観てて心を打たれますね。
こちとらクーラーの効いた部屋で
ゴロゴロしながらポテチを食べつつ見ているのですが
球児たちの汗と涙の輝きがまぶしくて仕方ありません。
で、
昔からちょっとした謎だったんですが、
高校野球って、負けたら甲子園の土を持って帰るじゃないですか。
あれって、いったいどういう意味があるのでしょうか?
「思い出のため」なんでしょうが、
ちょっと深堀りして知ってみたくなりました。
はてさて、あの土にはいったいどういう物語が込められているのでしょうか?
これを知れば、高校野球観戦に
さらに深みが増してくるかもしれません。
土なんぞ持って帰ってどうするの?
あの土って、持って帰ってその後どうなるのでしょうか?
どうやら土の使い道は人それぞれみたいです。
小分けしてまわりの人に分けてあげたり、
(もらった人的にはどんな感じなのかは別にして)
ビンに入れて保存しておけば、
それを見て「また頑張ろう」という気持ちになったりするし、
将来的に人に見せて、話のネタにすることもできますね。
色々ある中で個人的にいいなと思うのが、
「学校のグラウンドに撒く」
ということです。
そうすることで、
また甲子園の土を踏むことができるという、
一種のゲンかつぎの意味合いになるようです。
これが前向きで良さげですね。
3年生の場合は自分は引退してしまうけど、
後輩達のために・・・ってことになりますかね。
なんかイイですね。
甲子園の土って、どこから持って来るの?
春と夏の毎年2回、球児達がこぞって土を持って帰ってしまったら、
そのうち甲子園の土は無くなってしまいそうですよね。
きっとそうならないように、
どこかから補充しているんだろうとは思いますが、
元々はどこの土なのでしょうか?
どうやら甲子園球場のHPによると、日本各地の黒土の産地から
集められて、ブレンドされているようです。
・三重県鈴鹿市
・大分県大野郡三重町
・岡山県日本原
・鳥取県大山
・大分県大野郡三重町
あたりから運ばれてきているとのことで、
毎年決められているわけじゃないとのこと。
んで、中国から持ってきた砂と混ぜられているとのこと。
むむ・・・中国・・・だと・・・。
まあ今回はそれはさておき、
夏は白いボールが見やすいように黒土の割合が多く、
春は雨が多いので砂を多めにしているようです。
いつから土を持って帰る風習ができたの?
ここまでが甲子園の土の現状ですが、
こういう風に定着するまでに、色々あったようです。
もともと甲子園のある阪神間の土って、
白っぽくてボールが見にくかったんだとか。
なので、初めは淡路島から黒土を持ってきてブレンドしたとのこと。
色合いだけじゃなくて、地面の固さとか、走り具合、
滑り具合なども担当者が自ら実験してチェックしたようです。
今でも担当の人は試行錯誤しながら改良を試みているようです。
熱意や情熱は高校球児だけではなく、
球場関係者にも脈々と受け継がれてるんですね。
初めて甲子園の土を持って帰ったのはいつ?誰?
そんな歴史を持つ甲子園の土ですが、
最初に持って帰る行為が行われたのは1937年の夏の大会のことです。
決勝戦で負けてしまった熊本工業の川上哲治投手が
ポケットに入れて持ち帰ったのが最初です。
その時はなんとなくだったのでしょうか。
この時は定着はしなかったようです。
時は流れて1949年の夏の大会、
準々決勝で敗れた小倉の福島一雄投手が甲子園の土を持ち帰りました。
この時をきっかけとして敗れた球児達が記念として
土を持って帰るようになり、定番化したようです。
1937年とか1949年とか・・・、
思ったより歴史ある風習なんですね。
川上哲治とか、打撃の神様と呼ばれる偉人レベルの選手が
最初だとは・・・。
もしかしたら川上さんが後に大打者にならなかったら、
決勝で敗れて土を持ち帰ったエピソードが知れ渡ることもなく、
別の歴史になっていたかもしれませんね。
甲子園の土について、かなり詳しくなってしまいました。
何だか私も甲子園の土が欲しくなってきたんですが、
野球に縁もゆかりもない素人が入手することって
可能なんでしょうかねえ。
でも聖地の土なので、所持するのにふさわしい人が持つべきだと思うし、
やっぱりバチ当たりなことは止めておくとします。
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