私には遠い記憶となってしまったこどもの日
将来、また5月5日に「ちまき」を食べる日がくるのだろうか・・・。

そういえばウチは子どもの日といえば「ちまきを食べる」のが習わしだったけど、
柏餅を食べるという話も良く聞きますね。

何がどうなって2種類のお餅がしのぎを削っているのでしょうか?
どちらか一方が後から来て我が物顔をしている、不届きな侵略餅なのでしょうか?

そのあたりを徹底的に洗いだして、正当なるお餅に栄誉を与えたいと思います(`・ω・´)

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ちまきか柏餅かは東西で分かれています

実はこのお餅論争、関東では柏餅関西ではちまきが主流になっています。
私がちまきを食べてきたのは、関西で生まれ育ってきただらなのだと納得。

そしてその理由を追求してみると「端午の節句」そのものの起源にたどり着きます。

バレンタインも、ひな祭りも、だいたいこういうイベントの起源を調べてみると
根本には悲しいお話がきっかけになっていることが多いのですが・・・。

今回の「端午の節句」も同じく、1人の男の悲劇に端を発しています
せっかくなので、端午の節句の起源を簡単にまとめてみます。
そうすることで「ちまき・柏餅論争」に解決の糸口が見えることでしょう(`・ω・´)
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端午の節句の起源は紀元前の中国にさかのぼる

時は紀元前270年頃、戦国時代の中国。
楚の国に正義感が強く人情を持ち合わせた「屈原(くつげん)」という1人の政治家がいました。

しかし世のため人のためを思って行動する人物は、
私利私欲を満たしたい人間から疎まれるのはいつの時代も同じこと。

彼らの陰謀によって正義の政治家・屈原は失脚させられ、国を追い出されてしまいました。
国の行く末に失望した屈原、川に身を投げてしまいました

そのニュースを聞きつけた楚の国民達、
「屈原さんが魚のエサになるなんて忍びない!」

ということで小舟で屈原が身投げした川に繰り出しました。
屈原の亡骸が魚に食べられないように太鼓の音で脅し、ちまきを川に投げ入れて魚を退散させました。

なんでちまきを投げるんだというと、そのまま川に米や餅を投げ入れると悪い竜に横取りされたので、
竜が苦手な楝樹(れんじゅ)の葉で包んで投げたところ、横取りされずに済んだからなんだとか。

これが元となって、毎年屈原の命日である5月5日になると屈原の供養のために、
ちまきを川に投げ入れる風習が広まっていき、
やがて三国志の時代、宮中行事として「端午の節句」として定められました。

これが「端午の節句」、そして「ちまき」の由来で、
やがて奈良時代に日本に伝わったということです。

日本ではその後5月5日の端午の節句は、病気や災厄などの厄除けの行事として発展していきます。

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では、柏餅はどこから出てきた!?

なんともしんみりさせる物語を含んだちまきの由来。

一方もうひとつの勢力、柏餅。

柏餅が誕生したのは時代は進んで江戸時代だということです。

柏の木って「神聖な木」と考えられていて、縁起が良い木なのですね。

さらに柏の木の葉っぱには新芽が出るまでは古い葉っぱが落ちないという生態があるそうで、
子どもが生まれるまで、親は死なない」という意味に繋がると考えられていました。

子孫繁栄」という意味のある、縁起の良い葉っぱなんですね。

こうして縁起が良いということで柏餅は誕生したわけです。

話は戻って、端午の節句。

奈良時代から「端午の節句」は行われていたわけで、
江戸時代に縁起の良い柏餅がちまきに取って代わったということでしょうね。

伝統を重んじる関西では「ちまき」のポジションが守られて、現在に至るようです。


ちまきと柏餅の歴史を見ていきましたが、
歴史と伝統のちまき」と「縁起の良い柏餅」という結果でした。

どちらが正しいとかではなく、何を重んじるかで考えてみると良いと思いますが、
せっかくなので、両方頂いてしまいましょう!

中国と日本でこれほど広く長く供養され続けている天国の屈原さんも、
お餅の食べ過ぎで喉をつまらせながら喜んでいることでしょう(`・ω・´)

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