今でこそ色々なものを母の日に贈りますが、やっぱり原点といえばカーネーション
赤やピンクで色鮮やかで綺麗だし、上品なイメージ。

プレゼントすると母上に喜んでもらえる定番の花ですね。

しかし綺麗なのは分かりますが、そもそも何故母の日にはカーネーションなのでしょうか?
何か理由があるのでしょうか?
今回はカーネーションに込められた意味に迫ってみましょう(`・ω・´)

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始まりはある母娘の物語

母の日にカーネーションを贈る意味を知るには、その元となったある母娘の物語に触れるのが良いでしょう。

母と娘の平和活動、そして母の死

時は1800年代の後半、アメリカにヴァージニア州出身の一人の女性社会活動家がいました。
彼女の名は「アン・ジャービス」といいました。

教会の日曜学校で教鞭をとる傍ら、
南北戦争後に分裂してしまった南北の州のため、熱心に平和活動をしていました。

彼女には娘が2人おりまして、そのうちの1人アンナ・ジャービスも母の活動を支えていました。

ですが娘のアンナが41才の1905年、母であるアンが亡くなってしまいます。

娘アンナの呼びかけ

母を亡くした2年後の1907年5月の第2日曜日、
アンナはフィラデルフィアの自宅に数名の友人を招き母を偲ぶ会を開きます。

そして母のアンの活動を振り返りながら
「マザーズ・デイ(母の日)」を国民的な日として設けるべきだと提案しました。

アンナは母が長年教師をしていた教会宛に、母の日の式典を実現しようと手紙を出しました。
教会はそれを承諾、1908年の5月10日に470人もの母子が参加し、
同教会にて初めての母の日の式典が行われました。

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母の日とカーネーション

式典にてアンナは亡き母が好きだった白いカーネーションを祭壇に飾り、
出席者にもカーネーションを配りました。
現在まで続く母の日のシンボルとしてのカーネーションの始まりです。

この一件をきっかけとして8年後の1914年、
アンナの思いは実を結び、めでたく5月の第2日曜日が母の日とアメリカ記念日として制定されました

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カーネーションのその後

始めのうちは母親が健在な人は赤いカーネーション、亡くなっている場合は白いカーネーションを
自分の胸に飾っていたとのことです。

理由は白いカーネーションの花言葉が「亡き母を偲ぶ」、
赤のカーネーションが「母の愛情」だからでした。

それがいつしか母親本人にカーネーションを贈るようになっていきました。

アンナの母を偲ぶ純粋な思いから始まった母の日とカーネーション、
やがて高値で取引されるようになったりして、商業的な風潮に移り変わっていきます。

純粋に母への敬意の気持ちを尊重したいアンナとしてはその流れを良しとはせずに、
商業化の流れに抵抗してみたものの、歯止めをかけることはできませんでした。

現在でも母の日やカーネーションは商業的な空気は否定できませんが、
母の日が制定されているおかげで、アンナの様に母を敬う気持ちも表す日を迎えられているのも確か。

言葉で敬意や感謝を伝えるのは難しい場合でも、その気持ちをカーネーションにこめて母に贈ることができ、
今に至るまでアンナの思いは受け継がれていると言えますね。

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一方、日本では

もともと日本においても1931年(昭和6年)、
皇后様の誕生日である3月6日が母の日として設定されていました。
そこへ戦後になって、先ほどのアメリカの母の日のスタイルが伝わってきます。

アメリカ風の母の日の方が良いだろうということで、
1949年(昭和24年)頃からアメリカと同じように5月の第2日曜日を母の日とすることになりました。

日本では当初は白いカーネーションと赤のカーネーションを区別していたのですが、
母が健在の人と亡くなっている人を区別するのもどうかということで、
赤いカーネーションを贈るのが定着していきました。

現在ではカーネーションの色も多様化しているため、赤にこだわることもなくなってきているのですが、
白はやはり亡き母に贈るという意味につながるので、避けたほうが良いということです。


アンナの母への思いが伝わってくる物語で、なんだかしんみりしてきました。
まあ実際は活動家ということで、パワフルな女性だったのかもしれませんが・・・。

実は私ここ近年、母にカーネーションを贈ったことは無かったのですが、
今年は母への敬意をいま一度思い出してカーネーションにしてみようかなと書いていて思いました。

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